わたしは何をしているのか

 

とにかくやれ

 「なんでもいい、とにかくやれ。」はS先生の口癖だった。「やっていること」は全ての前提なのである。考えたり、絶望したり、嘆いたり、有頂天になったりしてもいいが、それは何かやったあとの話なのである。S先生の言葉はときに辛らつであったが、「やっている」人間に対しては基本的に暖かであった。反面、「やらない」人間には容赦がなかった。たとえば講評会で、ある作品についての講評が行われているとする。その講評について作者ではないある人間が意見を述べたとする。するとS先生は決まってこう言ったものだった。

「あなたの作品はどこにあるの?」

そしてその作品がないとなれば

「何か言う前にあなたの作品がここにないとね・・・」

となるのである。

 だが・・・とわたしは思うのである。行為はひとの理念の表れである以上、行為の前に考え込んでしまったり、ためらいや逡巡があるのは当然ではないか?なかなかやれない、つまりなかなか行動に移せないのは、ひととして自然なことなのではないか?あるとき、とんかつ屋でそのことを口にすると、S先生はソースの容れ物を手にとって、

「たとえば、この蓋が上に載っているより、こっちのほうが面白い。だからこうして横に付けました。それでいいんだ。」と言い、食後のコーヒーを片手に、

「穴が掘りたいと思ったら小学校の校庭に穴を掘ったって構わないんだ。」と言った。(この話は何度も聞いたので誰かが本当にやったのだろう。)

 とにかく、何かしたいと思ったら躊躇することなくやり切ってしまうこと・・・それが当時、S先生が繰り返し研究生に説いていたことであった。繰り返しになるが、S先生の言葉にはじつに説得力があり、わたしはこの研究所を出たらとにかく「やる」のだと思っていた。

 

この世界、みな社長か

 1986年6月1日の入っている週、これは間違いない。水曜日か木曜日のいづれかであったろう・・・わたしはT画廊で行われていたS先生の個展を見に行った。「見に行った」というのは正確ではなくて、実際はS先生のところへ押しかけていって自分の近況について話し、今抱えている問題点について相談しに行くのだった。

 その日は同じ目論見で押しかけていったN美術研究所のOBが7~8人ほどいて、画廊が閉まった後、神田あたりの喫茶店に皆でお茶を飲みに行った。(S先生はこういうときに酒を飲まない)

 各自、それぞれの近況を交えながらの雑談になる。

 翌年、大学院を終了予定で、親元に帰って陶芸窯を作ろうと考えているもの、大学に入ったばかりだが、周りに現代美術をやっているやつがぜんぜんいないと嘆いているもの、大学も4年生になり、今度初めての個展を開くもの、世田谷美術館でグループ展をやるのだが、大作で、体重が2kg減ってしまったというものなど、様々だった・・・

 そのなかにデザイン事務所に就職したばかりの人間がいた。彼だったか彼女だったか忘れてしまったが、とにかく自分の意見がなかなか通らず、上司の思惑に自分の仕事が左右されることを嘆いていた。

 そしてS先生の次の言葉ははっきりと憶えている。

「そうか、それはしんどいね。それに比べてこの世界はいいよな。みんな、自分が社長みたいなもんだからな。」

 「社長」というこの言葉にわたしは引っかかってしまった。「社長」とはこの場合、自分がやりたいことを自分で決められるひとのことであろう。「この世界」のひと、つまり美術に携わるひとが、自分のやりたいことを自分で決められるというのであれば、わたしは次の二つの点において賛成できないと思った。

 まず美術家は自分がやりたいことを自分で決めることができるのか?・・・美術家に限らず、ひとの行動にはそれを動機付けるものがある。そしてその動機を動機付けるものがあり、さらにそれを動機付けるものがあり・・・と、その行動をどんどん遡っていくならば、あるところからあいまいな、自分ではうまく説明できない領域に入っていくはずである。つまり、ひとは自分の行動を完全には自分で決められないのである。

 また、やりたいことを自分で決められるとしても、美術家はそれをやってしまっていいのだろうか?・・・過去の美術家たちのことを思い浮かべるならば、何らかの制約がその行為の動機付けとなっている場合がほとんどではないだろうか。そうした制約、つまり動機がないところで作ったものに意味はあるのだろうか?・・・

「それは違うんじゃないですか。」

つい、私は言ってしまった。そんなつもりはなかったのだが、いわば同窓会のような、和やかなその場の空気が凍りついてしまった。だがこうなっては行くところまでいくしか仕方がない・・・

「ほう、それは・・・どこが?」目を細めて髭の間からS先生が言う。

「社長の仕事というのは大洋で船を操っているようなものでしょう。海面に船を浮かべて『さあ、どこでも好きなところに行くぞ』というわけにはいかないはずです。方向を決める羅針盤が必要です。そもそも行き先は誰が決めるのでしょう?そこに着いて何をするのでしょう?・・・美術家が社長だとして、いったいどこへ向かうべきなのでしょう?」

「美術に『こうしたらいい』というような方法論はないよ。」S先生は言う。

「方法論がないのはわかります。でも、だからといっていま乗っている船がどこにいてどこに向かっているのかわからず、どうしてのんきにしていられるのですか?1時間後には遭難の危機が待ち構えているかもしれないのに、・・・」

「でも美術ってそういうものじゃあないでしょ。これこれこういうことについて勉強しました。こういう問題意識を持って、こういう方針を持って・・・さあ、これから作品作りましょう!・・・そういうもんじゃないでしょ。」S先生の言うことはよくわかったが、わたしは言わずにはおれなかった。

「現実問題として、ぼくはいま先がまったく見えないんです・・・自分がやったことの反応はどこからもなく、作品はアトリエの前の庭に積み上げられていくだけ・・・ぼくはいったいなにをやっているんでしょう・・・何か確かな方法なり、方向なりがなければ『いま』ぼくは作品が作れなくなってしまうのです。」

 

目的は出発することなのか

 それから2年が経ち、わたしは本当に作品が作れなくなってしまった。はじめは何か後ろめたいような、苦しい感じがしたが、そのうち何も感じなくなった。作品を作らないことが普通のことになった。

 5年がたって、また少しずつ作品をつくりだした。それは自分のやっていることが分かったのでも、やることを自分で決められるようになったのでも、どちらでもない。その辺のことをうまく言い表すのは難しい。

 ただ、また作品を作り出してから気づいたことがある。これは「やらないと」分からなかったことだ。いまわたしに制作を始めさせるのは「ここに何かが埋もれているような気がする」という漠然とした予感である。そして、そこを何となく掘る、少し掘ってみる、どんどん掘る、掘る、掘る、掘る・・・そして・・・あるところで納得できるときがくる。「ここにはやはり何かがある」という確信が持てるのである。そこで制作は終わりである。さらに掘り続けて、そのものを掘り当てる必要はない。この辺の感じを述べるには、もう何年か言葉を浚う必要があるのだが、とにかく、わたしは自分がいつのまにかあるところを通り過ぎてしまったような、もういちどそこまで戻って同じ途をたどる必要はないという感覚にとらわれるのだ。

つまり、目的は出発することであり、先のたとえで言うなら「羅針盤を据えること」であり、羅針盤を使って航海することではないのだ。

 「皆が社長」・・・S先生は正しかったかのもしれない。社長は仕入れや製造や、営業や経理をやる必要はないのである。仕入れや製造や、営業や経理が動き始めるのを見届けるのが仕事なのである。大きな不安を抱えたまま・・・

 いま、わたしは28年前の自分に向かって悔し紛れに、次のようにつぶやく・・・

「とにかくやれ。でもやっている間の感覚にはいつも気をつけておくこと。そしてその感覚が自分のなかに沈んで積もっていくのをしばらく我慢して見守ってみたらどうだろう。不安とは仲良くやっていくように・・・」

© 2018 by Mikio Uraasaki.   mikiourasaki@gmail.com

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