ESSAYS

05|背の高さまでのデッサン―S先生

背の高さまでのデッサン

1982年10月のとある土曜日…N美術研究所4階にある紺色のソファでS先生はくつろいでいた。3時簡に及ぶ講評会が終わったところなのだ。研究生たちはみな急いで帰り支度をしていた。東海道線は30分に一本、御殿場線にいたっては8時台を逃すと10時過ぎまで電車がないのであった。

くしゃくしゃの髪の毛をした高校2年生の男子研究生がやってきた。

「S先生、デッサンみてもらえませんか?」

見ると、デッサンといっても1、2枚ではなく、B3のカルトンに挟まれて分厚い束を成している。S先生は立ち上がると、その男子研究生を階下の部屋に連れて行った。そこは油画のモチーフが置いてあって、床は乾性油が染み込んでテカテカしていた。

カルトンのひもをほどき、最初の何枚かを見てS先生は言った。

「あのね、デッサンって何だと思う?」

S先生の右側に立っていた男子研究生は、答えられないでいた。濃い顎鬚の生えたS先生の右頬が見えた。S先生はそのままデッサンに顔を向けながら、

「デッサンっていうのはね、知ることだよ。」

と、髭ごしに言った。そして全部見終わらないうちにはっきりとこう言ったのだった。

「あなた、これ、背の高さまでやりなさい。いい、悪いは別にしてきっと何か見えてくるから。」

その男子研究生はその言葉通りにしようと心に決めた。9時近くに帰宅すると、大急ぎで夕食をかき込み、風呂に入る…自室に引きこもってカルトンを構える。モチーフは家にあったガラス瓶やボール、野菜や肉など…とにかく手当たり次第に描いた。12時前の就寝までにB3sのデッサンが1枚描ければ良い方であった。学業などは、美大を受けようと決めたときからとうに放棄していた。2年生の秋だったから4泊5日の修学旅行があったのだが、彼はスケッチブックを持ち込んで宿の屑篭なんぞを描いた。

秋が過ぎ、冬が過ぎて春になった。ある程度デッサンがたまると、S先生のところへ持っていった。デッサンはくるぶしの高さになった…だが、そこでこの試みは終わりになった。原因は夕方5時から8時まで研究所で描いていたデッサンや油絵が不調に陥ったことだった。彼は今でもそうなのだが、一つのことがだめになってしまうと、もう他の事は考えられなくなってしまうのであった…彼はB3のデッサンを持って行かなくなり、そのことについて、S先生はなにも言わなかった…

もう何十年も忘れていたのだが、彼、つまり私は、最近ひょんなことでこのことを思い出し、そして考え込んでしまった。…デッサンが「知ること」であるならば、今わたしがやっていることだって広い意味での「デッサン」ではないか…もしそうだとするならば…たとえばキャンバスの作品は木枠を外し、パネルの作品は桟を外して平らにする…そうしてあの高校2年生の時点から今までのすべての「デッサン」を積み上げていったならば…果たして背の高さまで行っているのだろうか…背の高さまで行っているのであれば、果たしてわたしには何か「見えている」のだろうか…あるいはわたしはあの高校2年生の秋からいまだに「背の高さ」をめざしてデッサンしている途中なのかもしれない…